当たり前 じゃない

Falling Leaves
(バズフィード・ジャパンのwebサイトへのリンク)

最愛の祖母に寄り添って、ささやかだけど穏やかに生きていたはずのお孫さんが
大好きなおばあさんを残して失踪。1年後、自ら死を選んでいたのが発見された。
おばあさんは、失意のまま1年後にこの世を去った。

そんなお二人の生活を親戚の写真家が撮り続けてました。
それはお婆さんの大往生で終わるだろうと思っていたそうです。

お孫さんの言葉。
『僕はばあちゃんの愛情を浴びるよう育ったから、ばあちゃんが死ぬまで僕が面倒見るのは当たり前だと思っている』

私も一時期は、主人が死ぬまで自分で面倒を看るのは当たり前だと思ってました。
自分で選んだ在宅介護。
どんなに大変でも、最後まで全うするのが、私の義務だって。


でも、最近は、それは間違った考えだと感じています。
自分が健康を害して気づきました。

自分のできる事には限界があって、
その限界が主人の介護を全うするには足りないかもしれないと。

だって、主人より先に私が死ぬかもしれない。
もしかしたら、明日にでも。
「私が最期まで面倒看るからね」
と、心では思っていても本当にできるかは、誰にも…私にも分からないのです。

そして、主人が死んだ後、いったい私に何が残るのでしょう。
2人の絆が強ければ強いほど、先立たれた喪失感は大きくなるのではないでしょうか。


だから急にミシンを買い込んで、下手くそなものを縫って遊ぶようになったのかもしれません。


在宅介護は断崖絶壁の上を綱渡りするようなもので、振り返ると、一筋の細い長い道の上を、かろうじて渡ってきたのだと
愕然とすることがあります。

毎日の、ささいなルーチンワークでも、
ほんの少し判断が遅れただけ、ほんの少しの行き違いで命に関わることがおきる。

とても恐いです。


もちろん、介護が必要な人を、誰かがお世話をするのは当然ですが、
それは昔受けた愛情のお返しではないはず。


お孫さんがどうして自殺したのか、未だに分からないそうです。

誰にも相談できず、誰にも頼れなかったのでしょうか。

介護には闇がある。
深い、まっくろな、闇。
たった一人で向き合うには、あまりに深い闇だと、私は感じています。


せつない。やりきれない。


お孫さん、大輝さんと、おばあさんのご冥福を心からお祈りします。
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