半年ごとのMRI検査を受けてきました

半年ぶりのI大学病院。
若い患者さんと入れ替わりに診察室に入りました。
重い話が途切れ途切れに待合室まで聞こえてきて、
すれ違った弱々しい姿に胸を締め付けられます。

どうか、治療がうまくいって回復されますように。


「もう8年になるね」
I大学病院脳外科のT先生が撮ったばかりの主人のMRIの画像を見ながら
「ご主人、安定してますね。次回は半年じゃなくて1年後にしましょうか」
と言いました。

安定といっても…。
画像を見せてもらうと、また一段と白質脳症が進み、脳の萎縮が目立つようになっていました。
主人はPCNSL(中枢神経原発悪性リンパ腫)の初発の治療時に
放射線の全脳照射(脊髄以外の脳組織全てに放射線を当てる)を受けました。
特に腫瘍の部分には50グレイを当てました。
(全脳30、局所20)
白質脳症は放射線の副作用で、特に高齢の患者さんには高確率で発症します。
主人は当時60歳手前でしたから高齢とまではいきませんが、
50グレイ当てた部分が目立って萎縮しているのを見ると
強い放射線のダメージに耐えられなかったのでしょう。

「特に海馬の部分が薄くなってるね。ここ、見えますか?」
海馬は記憶に関係する部分です。

「1年経たなくても、もし心配なことがあったら、いつでも来ていいよ」
とI先生は言ってくれました。

おそらく、今後は腫瘍の再々発よりも白質脳症による認知機能の低下に注意していくことが大事で、
それは脳外科医ではなく定期的に診療する訪問医、そして家族の役割が大きいと判断されたのだと思います。

脳の萎縮により一段と覚醒が悪くなり、嚥下をはじめ様々な機能が低下し、数年後には寝たきりとなり、経口摂取も難しくなるかもしれない。
それは、何年も前から覚悟していた経過です。
介護から看取りへ。
そういう大きな変化にぶち当たるのは、そんなに遠い将来ではないのかもしれません。

『卒癌』でもあり、『終わりのはじまり』でもあるのだな。


2年後に新しい病棟が完成予定のI大学病院。
主人と探検した、ぼろぼろの研究棟はとっくになくなり、
(無断侵入ではなく、研究棟の中にレストランがあったのですよ)
新しい病棟が稼働し始めたら、今の病棟も壊されるそうです。
入院はイヤですが、ぴっかぴかの新しい病棟を一緒に見たいね。お父さん。


診察が終わって、近所の喫茶店に行きました。
ここは果物屋さんと同じ経営でフルーツサンドやホットケーキ、ジュースなど
おいしい果物や軽食が食べられますし、
ランチタイム以外は割と空いているので、
受診の帰りはだいたいここで一休みします。

今日はフルーツ盛り合わせとサンドイッチを食べました。

メロンはもちろん、バナナやキウイといったありふれた果物もひと味違う!
おいしいね~~。

サンドイッチも作りたてで、パンがしっとり柔らかく、食べやすかったです。


8年前、「まだこれからなのに」と病室で一緒に泣いた主人と私の凸凹珍道中は
振り返ると、随分と遠い場所までたどり着きました。
あの頃からは想像もつかないほど遠くて、曲がりくねった道でした。
そうだ、たくさん泣いた。
こんなに泣いたら干からびるんじゃないかぐらい泣きました。
でも、それだけじゃない。
たくさん、一緒に笑いました。
大勢の人と巡り会えて、今まで知らなかった生きる喜びを知ることができました。
諦めないで良かった。
主人が生きてくれて良かった。


例の
『障害者は不幸を作ることしかできないから、生きる意味はない。
 死んだ方がみんなの幸せなんだ』
とかいう理屈に

最初はちょっとグサッときたけど、

今は、
幸せとは、たくさんある価値観の1つにすぎず、
例えば液体の入った瓶に貼ったラベルのようなものだ
と考えるようになりました。

瓶を開ける前からラベルだけ見て、
「これは水だ」
「これは酒だ」
「これは毒だから捨てよう」
と言ってるのと同じだと。

中身を知ろうともしないで。


残念だな…。

もし中身を見て、嗅いで、一口味わってみたら
「あれ?ラベルを貼り間違えてるじゃないか!」と気づいたかも知れないのに。
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Comment

  • 2017/09/27 (Wed) 09:50
    ルッコラ #- - URL
    No title

    こんにちは。
    美味しそうなフルーツ盛り合わせですね~。
    幸せとは?
    本当に難しいなあ。
    夫にとっての幸せってなんだろう、今も考え続けています。
    以前彼が思い描いていた幸せとはほど遠い生活を送っていると思いますが
    今の彼自身はそんなこと考えていないんですよね。
    認知症になったことで本人が思う幸せの基準自体も曖昧になってしまったわけで・・。

    8年間働きながらの在宅介護、きっとブログでは語り尽くせないほどのご苦労があったと思います。
    mokominaさんのブログを拝見していて、大変な状況になってもわずかな時間を縫ってぬか漬けやパン作りやお裁縫などを楽しまれているのがすばらしいなあといつも感心しています。
     ご主人との闘病と向き合いつつ、他のことで少しずつ喜びを貯金しておくのが幸せになるコツかもしれません。
     まずは介護する人自身が「これで幸せ」と感じることが大切なのかなと最近は思っています。
     

  • 2017/09/29 (Fri) 10:16
    mikomona #- - URL
    ルッコラさん、こんにちは。

    コメントありがとうございます。

    幸せ…そうですよね。難しいです。
    先日NHKスペシャルで、若いディレクターが障害者(ご自分の妹さん)と家族の幸せについて考えるドキュメンタリー番組を見ました。
    そのなかで普段介護に関わらないディレクターが、一生懸命妹さんを笑顔にさせようと努力するんですが、
    お母様が『こちらが一生懸命やった結果、笑顔が見られればそれでいい。笑顔を求める介護は違うと思う』という趣旨の発言があり、
    あ~~~それってうちもあるなぁ…とちょっと反省しました。
    毎日毎日笑顔を見ていたい介護者。
    毎日毎日笑顔を求められる被介護者。
    それって誰のための幸せ?ですよね。

    ほんと、難しいです。
    でも、幸せとは誰かに定義してもらうものじゃなくて
    自分が感じるものが幸せなんだと思います。

    例えばおいしいフルーツを食べるとか幸せですよねぇ♪(結局食い気か!)

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